不倫バッシングから考える人間関係と自由について

こんにちは。

プロフェッショナルコーチの中原宏幸(@coach_nakahara)です!

最近、いろいろなメディアで”ゲス不倫”という言葉を聞きます。

ゲス不倫

品位に欠ける、下劣な不倫行為を指す語。

ゲス不倫の語は、夫である国会議員が、出産で緊急入院中の妻がいるにもかかわらず不倫に及んだという報道から生まれた。

Weblio 辞書より

また、ベッキーさんと「ゲスの極み乙女。」のボーカル川谷絵音さんの不倫騒動から来ているという記事もありました。

ところでこの記事を読んでくださっているあなたは不倫についてどのように思われていますか?

もしかすると、ただ感情的になって『不倫なんてとんでもないことだ!!』と思われていませんか?

もちろん個人の考えですので、どのように思われていてもOKです。

しかし感情的な思い込みの中に”自由の否定”が含まれているかもしれません。

今回は私がクライアントさんによくお話ししている、『人間関係と自由』についてお伝えしていこうと思います。

1.そもそも不倫とは?

不倫

不倫(ふりん)は本来は、倫理から外れたこと、人の道から外れたことを意味する。

近年では特に、近代的な結婚制度(一夫一婦制)から逸脱した男女関係、すなわち配偶者のある男や女が配偶者以外の異性と恋愛し、性交を行うことを指して用いられる(配偶者のいない男や女が、配偶者がいる異性と恋愛し、性交を行う場合も含む)。

古くは姦通、不義密通といった(くだけた表現では浮気と呼ばれる。この言葉は未婚の恋人同士でも使われる)。

wikipediaより

私は今回初めて知ったのですが、所謂『既婚者がする浮気』という意味合いで使われだしたのはごく最近のことのようです。

 

由来

TBSのテレビドラマ「金曜日の妻たちへ」(1983年)が、「不倫」という言葉を「男女間の不義密通」という意味に変化(固定)させたきっかけと言われている。

それ以前のテレビドラマでは「よろめき」(主として、夫のある女性が、他人の男性に心を寄せる)という言葉が一般的に使われていたが、「不倫」という言葉が定着して以降はほぼ死語になっている(なお“よろめき”は三島由紀夫が1957年に発表したベストセラー小説『美徳のよろめき』に由来する)。
語誌的には、(名詞以外の用法としては)形容動詞の語幹として「不倫な/不倫だ」といった使い方をするのが本来の用法であり、サ変動詞の語幹として「不倫する」という形では使われることはなかった。

つまり、従来「不倫」とは様子・状態を表す言葉であり、行為・動作を表す言葉ではなかったといえる。

しかし、上記の金曜日の妻たちへ辺りをきっかけとして「不倫する」という言葉が世間で広く使われるようになり、現在では一部の辞典に載るまでになっている。

wikipediaより

 

そして重要なのがこちら、

単に夫や妻のいる男性や女性が男性・女性(既婚・未婚は不問)とデートするなどの浮気で、相手方の合意があれば犯罪行為とされないため、刑事罰に問うことはできないが、道義的に問題のある行為であり、その代償は非常に大きい。

つまり、現在の社会としては、不倫に刑事罰を与えるほどの問題ではないと判断している。

しかし犯罪でないとはいえ、家庭や友人関係を一気に崩壊させる危険をはらみ、経済的・精神的に深刻な打撃を受け、社会的信用はもとより、自身の社会的な基盤すらをも失う可能性がある(旧刑法だと姦通罪で罰せられることもあった)。
不倫は民法第770条の離婚事由に相当し、家庭崩壊の場合は配偶者に訴訟を起こされることがあり、慰謝料などの民事責任に問われることになる。

実子がいる場合は、年齢に関係なく心を激しく傷付けトラウマを植えつけてしまいかねない。

子供が心身を激しく傷つけられた場合には不倫をした本人の配偶者からだけでなく、子からも訴訟を起こされることがある。

重婚的内縁関係に於いては、実子を邪魔な存在と感じて児童虐待に及ぶケースがある。
関係の解消の際には、今までの関係を暴露すると脅されたり、口止め料や手切れ金を要求される場合もあるため、これらのトラブルも代償とされる。
他方、芸能人などはスキャンダルとしてバッシングを受け、政治家などにいたってはイメージ悪化に繋がり、潔癖な人間からの支持を大幅に失う。ただしお国柄によってはスキャンダルとはならないこともある。

wikipediaより

 

私の個人的主張は最後に書くとしまして、ここで重要なのは、

  • 不倫は犯罪ではない。
  • ただ、道義的に問題のある行為である。
  • 裁判になった場合、不利になる。

 

ということです。

2.ゲス不倫に悪態をつく人は残念な人

インターネットの普及でリアルでは出会わなたったであろう人たちの意見が聞けたり、自分の発言が不特定多数の人に届くようになりました。

単純に私たちが普段、触れる情報量は爆発的に増え続けています。

 

米IDCという調査会社の2007年の発表によると、2006年の1年間のデジタル情報量は、 2006年までに人類が残してきた書物の情報量合計のおよそ300万倍だったそうです。

 

何気なく見ているSNSなども私たちの脳は相当な情報量を処理しているといえます。

お気付きだと思いますが、そのほとんどはどうでもいい情報ではないでしょうか?

 

普通に交流していても、”SNS疲れ”などという言葉があるというのに、『奥さ〜ん、聞きました〜!!』みたいなどうでもいい情報(日本全国版の井戸端会議のようなもの)を脳に入れてどうするのだろうと思ってしまいます。

 

さらに”不倫騒動”の謝罪会見を観て、当事者に対して明らかに人権を無視した誹謗中傷を浴びせ続けるというのは、私にはいじめにしか見えません。(言い返せないとわかっていて言っているわけですからね)

これは私たち自身の自己評価を下げる(下げ合う)とても残念な行為です。

3.自由を放棄していないか?

私がクライアントさんによくお話ししている人間関係の悩み解決方法があります。

ものすごく単純なことなのですが、意外に盲点になっている人も多くいます。

 

それは『私たちは誰を好きになっても自由だし、誰を嫌いになっても自由。』

そして、『自分のことを第三者が好きになるのも自由だし、嫌いになるのも自由。』

ということです。

 

この話をすると殆どの人は納得してくれます。

以前、私がまさにそうだったのですが、”自分が他人に嫌われる”、もしくは”自分が思っているより良く思われていない”ことに対して落ち込んだり、自信をなくす人がいます。

 

これは全く意味のないことだと思いませんか?

 

例えば、Aさんがあなたのことを好きでも、嫌いでもAさんの自由です。

もちろん、あなたがAさんのことを好きでも嫌いでもあなたの自由です。

これってすごく自然なことだと思いませんか?

 

ですが私たちは他人の目を気にしてしまいます。

 

もし自分の評価が納得できなければAさんに修正するよう、何らかの形で働きかければいいことですよね。

 

もちろん人と人ですから、誤解や勘違いなどよくあることです。

仮にAさんがあなたを誤解して、良く思っていなかったとしても多少は仕方のないことです。

 

なぜなら、Aさんがあなたのことをどう思うかは、Aさんの自由だからです。

少し寂しいような気もしますが、自分がどう思われたいかよりも、自分が(この場合Aさんに対して)どうしてあげたいのかにフォーカスすべきです。(慣れてくると驚くほどストレスフリーです)

4.無意識は主語を認識できない

それでは”ゲス不倫”に戻って考えてみます。

 

先ほどの私の主張は『誰が誰を好きになっても自由ではないですか?』ということでした。

 

例え既婚者であっても好きな人ができることもあるでしょう。

 

今回のスクープされた芸能人の方々も周りに迷惑がかかる、仕事に支障をきたすのをわかった上で行動に移ったのです。

 

公になると家族や関係者に多大な迷惑をかける、その責任を取る覚悟での選択したのです。

まぁ実際は覚悟というより、冷静な判断や自己制御ができなかったケースの方が多いと思いますが・・・

 

とはいえ、第三者がどうこう言う問題ではないですよね?(彼らは誰かを傷つけたり、非難されたり、迷惑をかけることを承知でそれを選択をしたのです)

 

確かに、広告スポンサーに対しては損害を与えたかもしれません。

これについては当然、契約通り対応する必要があります。

また自分の家族や相手の家族に対してもしかるべき対応が必要です。

 

ですが一般のファンの人たちに対しては何も損害を与えてはいないはずです。

 

『ずっとファンだったのに裏切られたよ!!』と思っておられる人もいるかもしれませんが、そういうところも含めて、その人なのです。

 

納得できなければ、ファンをやめるのも自由ですし、『そんな一面もあったのか!』と”しょうがない一面”(あくまで一般的に)も含めてファンでい続けるのも自由なのです。

 

私がなぜ今回の”ゲス不倫”というテーマで記事を書いたかと言いますと、

『彼らの自由の選択を否定している人たちは、まず間違いなく自分自身が自由に生きることができないからです。』

『一般的におかしい、変わっている。』というだけで、他者を攻撃するというのは同じことを自分にしているということになるからです。

例えば、このブログのテーマでもある『今の自分にできそうにないことへ挑戦する』『理想的な新しい自分になる』というチャレンジに対してもネガティブな言葉で攻撃してしまいます。

 

私たちの無意識は主語を認識できません。

 

例え、他人に言った言葉だとしても、自分に言っているのと同じことになってしまいます。

 

自分と全く接点のない有名人の対しての誹謗中傷も、結果的に自分に言っているのです。

 

相手の弱みやネガティヴなところしか見ていないような人で、毎日イキイキして楽しそうな人っていないですよね?(私は会ったことがありません)

 

『人に言った言葉は自分に返ってくる。』とよく言われますが、これは事実です。(しつけのための言葉ではありません)

 

冒頭で、

  • 不倫は犯罪ではない。
  • ただ、道義的に問題のある行為である。
  • 裁判になった場合、不利になる。

と書きました。

 

ただ望ましくない行動をしただけの人に対して酷い言葉を浴びせるというのは発言者本人の人生に対してマイナス以外の何物でもありません。

 

もしも本当に腹が立ったというのであれば、その理由をSNSなどにはっきり書くべきです。

 

ただネット上で乱暴な言葉が飛び交っていて、言い返してこないから便乗するというのは”自由の否定”です。

 

その人(不倫騒動の当事者)への自由の否定でもありますし、発言者自身の自由の否定でもあります。

 

コーチングでゴール設定をして、大きな変化(ブレイクスルー)を迎えるときは間違いなく周りから止められてしまいます。

  • そんな無謀なことはやめろ。
  • 身の程を知れ。
  • お前にはまだ早いよ!

などです。

 

これはよく考えてみると当たり前のことです。

 

周りの人たちが思いつきもしない、もしくは思いついても誰もやらなかったことをするから爆発的な加速をすることができるのです。

 

『一般的におかしい、変わっている。』という思い込みに縛られている人、さらには少しでもはみ出した人に対して誹謗中傷する人はこのチャンスにすら気付けません。

 

気付いたとしても誹謗中傷をそれまで自分自身に言い続けてきたようなものですから、とても行動に移せる状態ではないのです。(マインド的に)

まとめ

普通に通勤、通学中にスマホを見るだけでも、ものすごい情報量に触れています。

どんな情報を手に入れるかよりも、どの情報をカットするかが重要な時代と言えるかもしれません。

 

  • 不倫は犯罪ではない。
  • ただ、道義的に問題のある行為である。
  • 裁判になった場合、不利になる。
  • 人権を無視した誹謗中傷を浴びせ続けるというのは自己評価を下げる行為。
  • 例え既婚者であっても、誰が誰を好きになっても自由(もちろん責任は伴います)
  • 『一般的におかしい、変わっている。』という感情的な否定は”自由の否定。

 

【追記】不倫についての個人的見解