最近ネット上で”劣化”というワードをよく見かけます。
多くは芸能人の昔の顔と今の顔を比べたりしたもののようです。
なぜこのようなことが気になったかと言いますと、所謂デジタルネイティブ世代の人たちというのは劣化するのが当たり前のアナログをほとんど知らないのではと思ったからです。
私は1982年生まれなのですが、カセットテープを使った最後の世代ではないかと思います。
DATは別ですが、アナログは厳密に言いますと常に変化しています。
常に劣化が進んでいるということです。(必ずしも悪くなっているという意味ではありません)
生活そのものがデジタル化しつつある今日で、最後のカセットテープ世代として思うことを書いてみようと思います。笑
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デジタルネイティブ世代とは?
デジタルネイティブ世代とは学生時代からインターネットやパソコンのある環境で育ってきた世代を指すそうです。
デジタルネイティブ(世代) (digital native) とは、学生時代からインターネットやパソコンのある生活環境の中で育ってきた世代であり、日本では1980年前後生まれ以降が該当するとされる。
これはMarc Prenskyが2001年に出版された著書"Digital Natives, Digital Immigrants"内で定義した呼称であり、生まれながらにITに親しんでいる世代をデジタルネイティブ (Digital Natives) 、IT普及以前に生まれてITを身につけようとしている世代をデジタルイミグラント (Digital Immigrants) と呼んだ。
日本では、商用のインターネットが1990年代半ばより普及したため、1990年代半ば生まれ以降がデジタルネイティブとなる。
情報社会心理学を専門とする橋元良明らは、日本におけるデジタルネイティブを、1976年前後生まれのIT起業家たちの世代(76世代)、1986年前後生まれの世代(86世代)、1996年前後生まれの世代(96世代)に区分し、各世代は大きく異なる特徴を持っていると主張する。76世代はパソコンによるインターネット利用が中心で、携帯電話を補完的に利用している世代であり、インターネット黎明期に積極的に関わった。
86世代は携帯電話によるインターネット利用が中心の世代である。
96世代は、日本の先進的なモバイルブロードバンド環境を背景に、様々な携帯通信機器を利用して動画コンテンツを視聴するとともに、クラウド環境での集合知(衆合知)を活用する世代であり、「ネオ・デジタルネイティブ」とも呼ばれる。
物心ついた頃から携帯電話やホームページ、インターネットによる検索サービスに触れてきた世代を「デジタル・ネイティブ第1世代」、ブログ、SNS、動画共有サイトのようなソーシャル・メディアやクラウドコンピューティングを使いこなし青年期を過ごした世代を「デジタル・ネイティブ第2世代」と分類する意見もある。
wikipediaより。
今回の記事内では『学生時代からネット環境が身近にあった世代』とします。
私の高校は情報科でしたのでネット環境が身近ではありましたが、自宅にインターネットを引いたのは20歳頃なので自分ではデジタルネイティブ世代ではないと思っています。
ギタリストはデジタルに疎い?
私は15歳からギターを弾いています。
アンプで鳴らすうるさい方です↓
実はギタリストはアナログが大好きです。(多くの人は)
ギターアンプも未だに真空管駆動の製品が主流ですし、デジダル製品を毛嫌いする人までいます。
私も持っているアンプは全て真空管駆動で完全アナログ回路で、デジタルのモノはありません。
とくに真空管はデリケートで気温や湿度によってもサウンドが変わってしまいます。
何が言いたいかといいますと、日々劣化(サウンドの変化)に向き合っているということです。
デジタルであれば音質は全く変化しません。(当たり前ですが)
全てデジタルのネット上の世界は特殊な世界
一方ネットの世界というのは全てデジタルです。
昨日見たYouTubeの動画が今日見たら再生回数が多くて画質が悪くなっていた・・・なんてことはありえないですよね?
文明が続いている限り半永久的に形を変えることなく存在し続けるでしょう。(バグなどはありますが)
これってものすごく特殊なことだと思いませんか?
私たちは心も身体も常に変化しているはずです。
でも一度デジタルデータに変換してしまえば半永久的なものになってしまう。
そのデメリットを感じたのでご紹介します。
デジタルはチャンスとキッカケを見失う?
私が朝から晩までギターのことを考えていた10代の頃はライブ映像というのは貴重なものでした。
洋楽のライブVHSは普通に12500円で売られていました。(今では考えられませんが)
ですので中学生だった私は新品では買えず、中古で手に入れて食い入るように観ていました。
ギタリストの”観る”というのはソロやリフの運指(指使い)の分析なんで繰り返し同じところを観るということです。
そうすると、当たり前ですがテープの1部分が痛んでしまいます。
画面が荒れたり、ノイズが入ったり最悪テープが切れてしまったこともあります。(よくセロハンテープで直していました)
ですからそういったことを一度経験すると再生できる回数に限りがあるということを痛感するわけです。
もちろんそれまでも集中して真剣に取り組んでいたわけですが、”超集中状態”に入るわけです。笑
最近感じるのはここまでの集中力を使う機会がほとんどなくなったということです。
もちろん私の仕事であるコーチングの現場では当たり前のように使うのですが、日常生活を送る上では本当に少なくなったと思います。(その必要がないから当然なのですが)
私個人の話なのですが、デジタルデータになったと思った瞬間に”貴重な感じ”がしなくなったというのは多くの人が実感しているのではないかと思います。
あくまで個人的な意見ですが、所謂ノウハウコレクターになりやすいのもデジタルデータに油断しているのでは?・・・と思ってしまいます。
ビジネス系の情報商材にしても、ギターの教則DVDにしてもずっと見ることができると思っているから『またそのうち・・・』などと後回しにできるのです。
数ヶ月しか観ることができないのであれば必死に吸収しようとするのではないかと思います。
実際私もギターの教則ビデオを見る前は深呼吸して呼吸を整えていました。笑
YouTubeのように再生しっ放しで寝るなんてことは考えられませんでした。
瞬発力を鈍らせる
私はコーチとして、悶々とした現状や生き方に悩んでいる人たちに、このブログを含め様々な情報発信をしています。
情報過多の現代、とくにweb上では欲しいと思ったあらゆる情報が簡単にしかも無料で手に入ります。
デジタルデータなので劣化もしませんし、バックアップを取っておくとさらに安心(油断?)してしまいます。
この安心が行動の瞬発力を鈍らせているのでは?・・・と思うことが最近よくあります。(自分のことでもありました)
現在、アメリカのボストンにあるバークリー音楽大学の先生からギターの通信レッスンを受けているのですが、なんとカセットテープで課題のやり取りをしています。
その先生のこだわりなのですが、高音質のデジタルデータよりもカセットテープの方がニュアンスが伝わるとのことです。(私も実感できました)
レッスン料金も高額(一般的に)な為、国際郵便で届いたらすぐにオーディオデータにして保存していました。
今回(8月分)のレッスンテープも同じように保存したのですが、なんとそのまま2週間忘れていたのです。
とりあえず保存したという安心感でしょうか、変換の際一度聞いただけで放置していました。
そんなことかと思うかもしれませんが、テープの届いた8月(真夏)では部屋が高温になりテープが伸びてピッチ(音の微妙な高さ)が変わることがよくあります。
そうなると耳でのフレーズのコピーがし辛くなります。
やはりデジタルデータ化したことでの安心感による油断です。笑
今は忙しいからとりあえず保存して、またそのうち・・・となってしまったのです。
これって何かに似ていませんか?
まとめ
コーチをしていると、やりたいことは見つかったのですが、はじめの一歩が踏み出せないという相談をよく受けます。
気持ちはよくわかります。実際に私もそうですし、そのように実感しています。
ですがはじめの一歩なくして理想のゴールはありません。
もちろんコーチングではコーチがクライアントさんに行動を催促するようなことは絶対にありません。
Want toの自発的な行動だからこそ潜在的なエネルギーが発揮され加速することができるのです。
しかしあくまで自分に対してのセルフコーチングでの話ですが、物事の終わりを意識することで”はじめの一歩”の重さを軽減できるのではと思いこの記事を書きました。
私はデジタルネイティブ世代ではないと言いましたが、これほどのネット環境の中(半永久的に存在すると思われるようなものの中)で生活していると、ついつい終わりを意識することを忘れてしまいます。
すべてのものには終わりがあります。(たぶん)
極端に終わりや失うことを気にすると逆に恐怖心が出てくるかもしれません。
『始まりがあって終わりがある中でこのチャンスにチャレンジできる自分はラッキーだ!!』くらいのイメージではじめの一歩を踏み出す感覚を楽しんで見られたらと思います。
ポイントは日々変化しているアナログ感を楽しむということです!